51歳、男性

比較的軽症のクモ膜下出血(破裂脳動脈瘤)で,私の病院ではなく他院での手術です。インターネットを利用してE-mailで文章を送って下さいました。

文章は患者さんの息子さんが,書いて下さいました。
この患者さんのように,幸運にも社会復帰ができれば良いのですが,重症のクモ膜下出血では同じ様な経過をたどれない事もあります。しかし,患者さんの家族の目から見た闘病生活の様子が良くでていますので,何かと為になると思います。

 


まず最初に「発症からの経過」を簡単にお話します。

6月18日 夜10時頃、頭痛を訴えて寝込む。それ以降吐いたり寝たりの繰り返し。
6月19日 朝6時頃、意識が無くなったので、救急車で病院へ。
午前中、写真を100枚程撮影して患部を特定する。
12時半~5時まで手術を行う。
ICUにて入院生活を開始。
6月27日 頭の管を抜く。看病する側からすると一安心。
7月 3日 ICUを出て大部屋に移る。
7月 5日 点滴終了。以後点滴は無くなる。  
7月18日 めでたく退院。   
以降1~2週間に1回、診察と薬をもらうために通院。  
退院から2ヶ月後に、診察は終わり薬もらうだけに。

私生活では、 7月19日 退院の翌日に車の運転を行いました。
7月20日 会社に行って挨拶。以後平日の2~3時間会社で仕事をしました。
8月 1日~ 普通に朝から出勤して仕事を始めました。  
10月中旬 ビールを少しだけ飲みました。(本当はもっと前から飲んでいたかも)
11月中旬 少しだけゴルフをしました。

というのが、「発症からの経過」です。

以下は「看病ノート」です。

日数は手術の日から。

1日目 6月19日(水)   
・5時間半の手術の後、主治医より詳しい説明あり。手術は上手くいったとのこと。水頭症などにならなければ、かなり元どおりになるそうだ。   
・手術後、深夜に点滴の針を刺したところ、「痛て」と言った。   
・頭から出ている管はとっても大事なものだ。これが抜けたら死ぬそうだ。   
・頭に手が行かないように、手を縛っておくように言われた。   
・また、意識が戻っても、無意識に手が頭に行くので、常時手を縛っておくようにとのこと。

2日目 6月20日(木)   
・意識が戻り、手・足が固定され、頭は痛いので大暴れする。   
・何とか押さえながら説明をして、しばらくしたらおとなしくなった。   
・24時間の点滴1本ともう1本の点滴をしている。  
・一定時間ごとに自動的に測る血圧計をしている。

3日目 6月21日(金)   
・主治医に「会社が心配だ」と言ったところ、「あなたがいなくとも会社は 大丈夫ですよ」と言われ、しゅんとした。   
・ヒゲを気にして「電気ヒゲ剃りを持って来い」とさかんに言う。 (電気ヒゲ剃りは頭に振動が行くので、わざと持って行かない)   
・「爪切りも持って来い」と言う。

4日目 6月22日(土)   
・頭の2本ある管の内、1本を抜く。   
・2時間に1回、ICUは看護婦さんが見に来るが、そのとき住所などの質問にふざけて答えるので、まじめに答えるように注意する。
・頭に手がいくのを防ぐために、手を固定するのを自分から進んでやるようになった。

5日目 6月23日(日)   
・血圧計を痛がって、起きあがろうとすることがあった。   
・看護婦さんに血圧計の圧力を調節してもらった。  
・たんがからむので吸入してもらった。   
・意識は比較的良い。

6日目 6月24日(月)   
・ひげ剃りをした。(ムースをつけて剃刀で)   
・お尻がかぶれていたので薬をぬってもらう。(安いオムツでかぶれた)   
・会社のことを気にする。「あまり気にするな」と言うと怒る。   
・「血圧計が痛い」と言って怒る。(あまり我慢強く無い)   
・頭からずい液がもれる。頭帯が赤くなっていた。一針縫ってもらう。   
・頭帯が無くなったので、売店で買ってきた。

7日目 6月25日(火)   
・回診のときは「順調です」とのこと。少し変なことを言うのも「心配無い」とのこと。   
・体を拭くときにお尻を洗ってもらう。お尻のかぶれがかなりひどい。(高いオムツにしているが、安いオムツを使ったかぶれはなかなか治らない)   
・今日も会社に電話するように何度も言う。   
・熱が38度なので、氷を入れる。   
・また、ずい液がもれて一針縫った。

8日目 6月26日(水)   
・回診のとき「あと一週間このままの状態なら大丈夫」とのこと。   
・体を拭くとき、お尻を洗ってもらう。薬を塗ってもらった。   
・紙オムツはむれるので、T字帯をしている。   
・便はポータブル便器でさせる。(便意があったとき)   
・尿の管の洗浄をしてもらう。その後「ぼうこうが痛い」と言うが異常は無い。   
・頭のずい液が漏れがあり、医者に包帯を変えてもらう。

9日目 6月27日(木)   
・回診のとき頭の管を抜く。ずっと管を付けていると、ばい菌が入ったりするからとのこと。   
・今後注意することは、頭の中の圧力が高くなっているので、頭を痛がったり、吐いたりするかもしれない。水頭症になった場合は、手術をして水をお腹の方へ出すようにする。   
・「経過としては非常に順調です」とのこと。少し頭を高くして(30度)様子を見て良ければ、どんどん歩かせます」とのこと。   
・今後、水頭症の症状が出たら、医者または看護婦に知らせること。    
 (1)手足の動きが鈍くなる。または全く動かなくなる。    
 (2)眠ったままで反応しにくくなる。    
 (3)全く会話がかみ合わず、変なことを言う。   
・寝ていることが多い。頭を痛がる。   
・熱が下がらない。38.1度   
・いつもより話をしたがらない。(おっくうがる)

10日目 6月28日(金)   
・回診時にベッドを起こして良いとのこと。(具合が悪くなったらすぐに止める)   
・ベッドを上げたからかどうか分からないが、すごく落ち着きが無い。   
・看護婦さんの話では、来週から大部屋に移れそうとのこと。   
・会話の様子からして比較的意識が安定しているようだ。   
・頭を痛がるが、昨日よりは良いような気がする。

11日目 6月29日(土)   
・ベッドを起こすとつらそうに見える。ベッドを起こして食事を取っていると余り食べないが、ベッドを倒して食べさせるとほとんど食べる。   
・回診時にベッドを90度に起こす。   
・ポータブルトイレで用を足しても良いとのこと。   
・もう少しで大部屋に移せます。   
・便のため、お腹がはっている様子。時々お腹が痛いと言っている。

12日目 6月30日(日)   
・食後少したったら、また寝てしまった。ベッドを起こすのをいやがる。   
・便が出そうなので、便器をあてたが出なかった。   
・座薬を入れてもらって便をした。   
・午前中の回診のとき、頭の傷口を見ていった。この程度なら大丈夫とのこと(頭の腫れ。少し水がたまっている)   
・頭の傷をたまにかくので止めさせた。

13日目 7月1日(月)   
・回診時、頭に水が少したまっているようだと言っていた。   
・尿の管を取ったので、尿の量をはかることになった。   
・パンツをはいて尿もれキャッチャーをつけている。   
・尿の量をはかって、排尿チェック表に記入する。尿もれキャッチャー分も。   
・胸の点滴を取った。これからは、1日1回腕からの点滴だけになった。   
・大部屋が今空いていないが、空いたらすぐに移るので、荷物をまとておく。   
・看護婦さんが少し歩かせた。トイレまで歩いた。

14日目 7月2日(火)   
・入浴の許可が出たので、看護婦さんと3人で入浴させた。   
・頭のさらしをやめて、帽子など他のものでも良いとのこと。   
・立って歯磨きをさせた。   
・今日の午後、大部屋へ移る。

15日目 7月3日(水)   
・午前の回診時、頭にたまっている水を注射器で抜いた。  
・会社の人が見舞いに来た。変なことは言っていないようだ。   
・シャワーをさせた。その後すぐに眠った。   
・看護婦さんに「頭が痛い」と言ったが、様子を見ましょうとのこと。

16日目 7月4日(木)   
・大部屋はなかなか寝られないらしく、朝食後すぐに眠る。   
・動作は鈍いが、だんだん歩き方がしっかりしてきた。   
・回診時、頭の傷口が消毒かぶれをしている。多かれ少なかれ血管れん縮が 有るので、皮膚が弱くなっている。   
・そろそろ水頭症の症状が出てくるので、ボケのような症状が出てくるかもしれないので注意をする。今までしっかり歩いていたのに歩けなくなったり尿を漏らしたりする。   
・水頭症になっても、背骨から水を抜く手術をすれば、ボケのような症状もすぐに良くなるので心配無いとのこと。   
・明日もう一度CTを取るとのこと。   
・退院はもう少しかかりそうとのこと。

17日目 7月5日(金)   
・回診時、本人が「頭の右半分が痛い」言うと、頭全体ではなく右半分が 痛いのは、余り心配がいらないらしい。頭全体が痛いときは、背骨から水を抜くと良くなるとのこと。お風呂に入って、頭を洗った。   
・CTの結果、異常はありませんでした。少しは水がたまっているようだったが、まったく問題無い程度です。 とのことだった。    

18日目 7月6日(土)  
・なるべく起きている方が良いし、話をして脳を刺激した方が良いと看護婦さんに言われた。   
・病院内を散歩しているときに、ICUで一緒だった人と話をした。同じことを何度も言っている。  ・少し変なことを言ったり、何度も同じことを繰り返したり、トイレに何度も行ったりすると言うと、これからはどんどん変わっていくので、長い目で見なければいけないとのことだった。

19日目~ はありません。18日目で「看病ノート」は終わりです。 後の12日間は、退屈な入院生活を送って、毎日4~5人の見舞客が来てくれて 話をしていました。

 


コラム風闘病記

【 1.クモ膜下出血は突然に!】 「クモ膜下出血」はある日に突然にやってきました。「突然死」の 典型的な病気なんだから、突然やってくるのは当たり前なんですね。 (OH脳のホームページによると、なんと「予防」もできるんですね)

「クモ膜下出血」という病名は知っていましたが、父親が倒れるまで 内容は、全く知りませんでした。発病すると3人に1人は、亡くなる 「突然死」の典型的な病気なんだそうですね。 手術の後、主治医の 先生に教えてもらいました。

「クモ膜下出血」で死ななかったのは、本当に幸運です。目立った 後遺症も現在のところ無いので、これまた本当に本当に幸運でした。

「突然死」というだけに、「クモ膜下出血」は突然にやってきました。

いつものように風呂に入って、風呂上がりに急に頭痛がしてきました。 肩も痛くなってきたので、肩に湿布薬を貼り、頭痛薬を飲んで寝て おりました。その後、夜10時頃から吐き気をもようして、トイレと 布団を行ったり来たりです。

「救急車を呼ぼう」と言うと、「頭痛なんだから寝てれば治る」の 一点張りで、なかなか言うことを聞きません。ついに、朝方6時頃に なって、意識が無くなったので「救急車」を呼びました。

救急隊員が来て、患者を見るなり、「こらだめだ! 元どうりには たぶん治らないよ!」と言って、テキパキと担架に積んで運んで 行きました。救急隊員の言葉を聞いて、ことの重大さに気付いた 母親(妻)でした。目の前が真っ白だか真っ黒になったそうです。

さて、病院に行って午前中は、レントゲンやらCTやら100枚程 撮影して患部を特定しておりました。家族・兄弟・親戚の人々が、 徐々に集まってきて、ただただ心配して、うろうろしておりました。

既に「クモ膜下出血」であることは、知っていましたので、みんな 知っている限りのことを、「あーだ、こーだ」と話していました。 要約すると「?さんは後遺症で・・・だ」「?の?さんはちゃんと 元どうりに治って元気にしている」などなどです。

そうこうしている内に手術開始の時間が近づいてきました。

【 2.手術後の大きな10歩】 さてさて手術です。とは言っても手術の前にもいろいろな出来事が ありました。

まずは、手術についての説明です。脳の模型を使ってとっても丁寧に 説明して下さいました。しかし、気が動転している烏合の衆は、 ほとんど理解しないまま説明を聞いているのでした。 (主治医の先生ごめんなさい)

さて問題です。「頭を手術する前に何をすると思いますか?」

答えは、「髪の毛を剃ってきれいに坊主にする」でした。

最近父親は、頭てっぺんの毛が薄くなってきたと、常々気にしており ました。髪の毛が抜けると「あーまた抜けた」と言って、髪の毛を とっても大切にしておりました。「クモ膜下出血」は、そんな思いも 一気に吹き飛ばして、坊主頭にしてしまいました。 (髪の毛より命が大切です)

父親は手術前も、無意識のうちにとっても暴れ回り、看護婦さん 3人と家族2人で押さえつけて手術室に運びました。それにしても 父親の顔は、20歳も若返ったような顔をしていました。       : (手術は5時間半かかりました)       : 手術後に父親を運ぶベッドが手術室に運び込まれました。手術は、 もう少しで終わりのようです。

しばらくして、主治医の先生が手術を終えて出てきました。歩く姿が とっても自信満々で、胸を張って堂々と10歩程歩いて行きました。

その後、患者の妻に報告するのを思い出されたようで、5歩程戻り 「手術は、まあまあ上手くいきました。心配いりませんよ」と言って 「詳しくは、後でお話します」と付け加え歩いて去って行きました。

説明を聞かなくとも、手術はとっても上手くいったようです。あの 自信満々の「大きな10歩」が表していると思います。

手術後の説明では、破裂しているのは、枝の枝部分なので出血が 遅かった。言語障害にならないように、右側?から開頭手術をして 出血部分を「クリップ」で止めました。 との説明でした。 (クリップはやっぱり、OH脳のホームページを見ましょう)

説明の後、主治医の先生が「質問ありますか?」と言うので、私は 「ゴルフができるようになりますか?」と不謹慎にも聞いたところ、 「水頭症にならなければ...たぶんできるんじゃないの」と苦悩の 表情を浮かべて答えてくれました。もう歩けないのかと思っていたのに、 ゴルフもできるかもしれないなんて、結構治るかもしれない。と勝手に 想像していました。

【 3.頭の管は大切に!】 「クモ膜下出血」の手術の後、とってもとっても大変なことが待って いました。

それは、頭のてっぺんから管を出して、髄液を抜いているんです。 看護婦さんから「その管は、とっても大切なもので、それが抜けると 患者さんは死にますから」と何度も何度も言われたことです。

無意識に患者の手が行かないように、手を常に縛っておいて下さい。 手術の後は、足も縛っていました。手術後に意識が戻って大暴れした のは後でお話しますが、その時も管が抜けなくて本当に良かったです。

いつも付き添っているとき、手が頭に行くとビックリします。たとえ その手が単に頭をかくだけでも... とっても神経がすり減って 疲れました。

そこで教訓です。「クモ膜下出血は手術後も管が抜けるまで大変だ!」

【 4.意識が戻り大暴れ!】 手術後、麻酔が切れて意識が戻ったとき、父親は大暴れしました。 手・足にはくっきりと青あざができておりました。

退院後にそのことを直接聞いてみました。

私:「麻酔が切れて意識が戻ったとき大暴れしたけど覚えてる?」 父:「覚えてるよ」 私:「何でそんなに暴れたの。無意識だった?」(手術前も無意識に    大暴れだったため) 父:「おまえね。夜寝たときは普通で、朝起きたとき手足が縛られて    いてごらんよ。何で縛ってるんだ! 早くほどけ! と大暴れ    するに決まってるじゃないか」   「だいたい私は、クモ膜下出血だってことも、救急車に乗った    ことも、手術したことも知らないんだから。」   「いたずらに縛ってると思ったから暴れたんだよ」 私:「あー、そうだったの」「管が抜けなくて良かったね」   「足まで縛ってたのは大正解だね」「何で手だけじゃなくて、足も    縛るのかと思っていたよ」

手術後、2~3日間は、起きようとしていましたが、その後は管の 重要性を理解したらしく、起きようとしなくなりました。4~5日後 には、自分から手を固定するところに入れるようになりました。

手術から9日目に、ついに管を取りました。看病する側も患者も とっても安心した日でした。看病しているときは、管のことばかり 心配で見ていました。無くなってひと安心です。

【 5.ICUでの日々】 毎日、2時間おきに看護婦さんが「住所は?」「氏名は?」「電話番号は?」 「看病しているこの人は誰?」などを聞きます。毎回同じ質問なので あきちゃうみたいですね。

そのとき、「住所は?」「ニューヨークです」って答えたときは、本当に ビックリしました。ついに頭が変になっちゃった。と真剣に思いました。

毎回同じことを聞かれて、ふざけていたみたいなんですが、いけません 真面目に答えないと、本当に変になっちゃたときに分からなくなります からね。

聞く看護婦さんも大変です。患者が答えた内容が正しいか? 正しく無い か? 分かる質問じゃないといけません。ICUで2時間ごとに回診に 来る看護婦さんもたいてい違いますし...

さっきどんな質問をしたかなんて、どうでも良いことですものね。 要は、異常が出ているかを確認することが重要ですね。

【 6.頭の管がついに取れました】 病気の本人、看病の家族にとって一番の悩みの種。頭の管を抜く日がついに やってきました。看病する私は、退院の日よりもうれしかったです。本人も うれしいと思いますね。すぐでは無くとも、トイレもシャワーもあと少しです。

今は何と言っても、今はオムツ生活です。管が取れれば、食事も自分で出来 ますしトイレも行けます。ベッドに縛り付けられない自由な生活が待って います。

我々にとっても24時間の気の抜けない看病生活から、適当な看病生活に 移ることができます。看病していても「頭の管が抜けると死んじゃいます。」 と言う、看護婦さんの言葉が頭から離れませんでしたから...

あーやっぱり。頭の管が抜けるのは、とっても嬉しい!嬉しい!出来事です。

【 7.水頭症になるのかな?】 頭の管が抜けて次の関門は、「水痘症」です。頭に水がたまり、ボケのような 症状が起こるそうです。簡単な手術で治るそうですが、ならないに越した ことはありません。

「ボケ」これの判定も家族にとっては難しいですね。頭を手術しているので、 普通に話していてもボケてるような気がしているのに、さらにボケの症状が 出るとしたら、いったいどうなることやら...

せいぜい世間話をして様子を見るしかないですね。話をしようとしても、 頭が痛いのか、かったるいのか、すぐに寝てしまいます。寝ていては、 ボケの判定ができません。

となりのベッドの人に何の前触れも無く、いきなり戦時中の話を始めたときは、 おーボケだ!ボケだ! とボケを確信しました。その後しばらく様子を見て いましたが、ボケでもないようです。(何だったんだろう)

確信は無いのですが、小さい頃(子供の頃)の記憶が全面に出てくるのでは? と父親が「クモ膜下出血」になった人が言っていました。本当にそうだと すると解決できます。真相は如何に。

そうこうしているうちに「水痘症」の危険性はだんだん少なくなって行き ました。

【 8.大部屋での日々】 ついにICUを追い出され、大部屋に移る日がやってきました。大部屋と 言えば、普通の病気の人が居る部屋です。やっとここまで来たかと思うと 感無量です。もしかしたら、さらに回復して普通の生活に戻れるかも 知れません。

大部屋でも問題は、不眠症でした。夜寝そうになると誰かがトイレに行き、 寝られなくなるんだそうです。トイレに行くのにいろいろ音を立てるからだ そうです。(ちょっと神経質かも)

さらに、寝ようとすると、「うー」とか言ううめき声が聞こえて、寝られ なくなるんだそうです。そこで、登場するのが睡眠薬なんですが、これを 使うと、これ無しでは寝られなくなっちゃうんですね。

それともう一つの問題は、昼に良く寝てしまうんです。これが夜寝られない 最大の原因かもしれません。病院は、不思議と昼間はうるさくても、良く 寝られるんだそうです。不思議ですね。

【 9.ついに退院です】 とうとう、退院の許可が出ました。発症から1ヶ月です。点滴もしなく なって、だいぶたちましたし、病院内ならば散歩できるようになりました。 後は、自宅療養で時間の経過を待てば良いと、先生が判断されたのかも しれません。

とにかく退院です。長ーい、長ーい、1ヶ月間でした。退院で一番助かる のは、夜間看護している母親だと思います。

とにかく「退院おめでとう!」です。

【10.退院後の様子】 退院後は、調子の良いときに起きて、後は寝ている生活です。退院3日後に 会社に挨拶に行き、会社で目を通す書類を自宅に持ってきたみたいで、 起きているときは、会社の書類を見ています。

発症して、頭を手術しているので、頭が元通りなのか? ちょっと変なのか? 回りの人々には、分かりません。以前よりは、変なことを言わなくなった ような気もしますし、元通りだよ! と言われれば、そんな気もします。

頭の病気は、治っているのか? 病んでいるのか? 家族でも良く分かり ませんね。難しいです。つくづく今回のことで分かりました。

退院してからしばらくは、頭が痛いと言っては、薬を飲んで寝ていました。 それでも、しばらく日にちがたつと、だいぶ痛がらなくなり、薬を飲む回数 も減りました。頭を手術したわけですから、これからも頭痛とは付き合って 行くのではないでしょうか。

足の骨が折れて手術したとしても、足はしばらく痛いですものね。数年後に 雨が降る前に、ズキズキ痛んだりして... 頭を手術しているのですから 全部が全部、前と同じと言うわけには行きません。後遺症が無いというだけ でも最高だと思います。頭痛の痛みは本人にしか分かりませんけど...

【11.外来診察でのお話】 さて退院後は、病院の外来で診察を受けるわけです。約2ヶ月間 通いました。その後は、薬だけなので診察は無しです。

ある日の外来診察で、こんな会話があったそうです。

患者:「ゴルフをやっても大丈夫ですかね?」 先生:「無理しなきゃ大丈夫ですよ」 患者:「また(クモ膜下出血に)なったりするんですかね?」 先生:「検査しているから当分ならないと思いますよ」 患者:「また(クモ膜下出血に)なったらどうすれば良いんですかね?」 先生:「また手術して治して上げるから、また私のところに来なさいよ!」

主治医の先生は、後遺症も見あたらず、「良かった。良かった。」と言って、 上機嫌の内に外来診察を終了しました。

【12.クモ膜下出血の人々】 病気になるとまず気になるのは、自分の病気がちゃんと治るか? また、 同じような病気の人が、その後どうなっているか? です。同じ病気の 人が、みんな元どうりに治っていたら、自分も治ると信じられますからね。

さて、父親が「クモ膜下出血」になったと回りの人々に言ったところ、実に 多くの方々から話をお聞きしました。その中から3件お話しましょう。

一番いろいろ聞いたのは同僚のお父さんの場合です。 発症したのは、10数年前48歳のころだそうです。友人宅で突然具合が 悪くなり、友人宅に迷惑がかからないように、外の公衆電話から呼んだ そうです。(とても律儀な方です)

入院して手術を行い、2~3日は意識が回復しなかったそうです。その後 2年ほど家で療養していたそうですが、リハビリに励み何とか社会復帰 されたそうです。残念ながら、後遺症は少し残ったそうです。

同僚の叔母さんは、「クモ膜下出血」になり、手術をして治し、現在は 全く後遺症も無く、前にも増して元気にしているそうです。

知り合いのお父さんは夜に、「クモ膜下出血」になり、頭が痛いから少し 寝る。と言って布団で朝まで寝ていて、朝起こしに行ったところ、既に 亡くなられていたそうです。

などなどいろいろな方の話を聞きました。

お粗末な「闘病記」は、これで終了です。最後まで読んでくれて ありがとうございました。