38歳、男性

38歳の男性が、くも膜のう胞の開頭手術を受けられた体験を書いて送って下さいました。


全国からたくさんのE-mailが届いていることでしょう。処理をされている 方は大変だとは思いますが、このホームページをみて勇気づけられる方も多いことと思いますので、是非ともよりよいものにしていただきたいと思います。 申し遅れましたが、○○と申します。○○県在住です。私も開頭手術を受け、年が明ければ発病後2年がきます。(1996年1月6日発症・同年2月13日手術)年齢は、38歳です。発 病当時36歳 まさかの出来事でした。

運動能力は人一倍あり、趣味が磯釣りなもの で重い荷物を背中に担ぎ急な山道を歩き、先輩と釣りに行っておりました。(余談)  

発病までは、全く前兆などはなく就寝後突然現れた。  その年の初釣りから帰り、22時就寝したところまでは記憶があります。 気がつくと目の前にぼんやりと金色の星のようなものがあるのです。それから徐々に意 識が回復し、よく聞くとせき込むような声を出して全身が痙攣を起こしていたそうで す。急いで救急車を呼び、目の前に見えた金色の星のようなものは、救急隊員のヘル メットの星であり私に呼びかけてくれていたのです。

その後意識ははっきり回復した ので、自宅の車で○○病院に行き診察を受けましたが、当番医が精神科のドクターだ ったため明日外来にくるようにということで帰宅し、床につきました。がまたしばら くして先ほどよりひどかったのでしょうネ、痙攣が起きまた救急車を呼び今度は意識 は回復せず運ばれて行き入院となったのです。

2回目は口から血を流し、すごい力 で痙攣しているので家族のものはものすごくびっくりしたそうです。特に長女は恐怖 から、もどしていたそうです。 就寝してから1日以上の記憶はありません。  

CT検査・MRI検査を直ちに行ったところ、私の右脳硬膜下には直径4~5cm の球形の固まりがあり(小さなミカン、1個分くらい)左脳に大きく圧迫をかけ脳の 中心線がずれ曲がっていたのです。初めてMRIのフィルムで自分の頭の病気の部分 を見る。とても自分とは思えず恐怖感はありませんでした。以後もすべてに恐怖感は ありませんでした。最近になり一時再手術(可能性としては今現在でも30%程度あ るようですが)ということもあったのですが、このときになり初めて恐怖感を感じま した。こんなに辛い期間を過ごそうとは予想もしていませんでした。

病名は「くも膜 のう胞」ということでした。この病気は、発病しなければそのままという人もあるそう ですが、私の場合は痙攣を起こしたり、脳の中心がずれていたりしていたのでDSA、 脳槽造影などの造影検査を行い、この固まり(固まりといいましても中は髄液 のような液体です)に膜があるかどうかを検査し、開頭手術ということになりまし た。検査の結果は膜があり、脳にへばりついた膜を取る手術になりました。というこ とは・・・脳に傷が入る・・・・後遺症が残るのでは・・・・・・ということを一番 心配しました。

脳には各担当があることはご存じでしょうが、私の場合「手・足の動 きをつかさどる運動分野」であったため手・足の麻痺を心配しましたが、後遺症もな く9時間の手術時間を要し成功したということです。

1996年

 1月 6日・・・・・救急車で運ばれる。手術までの期間各種検査

 2月12日・・・・・手術前日、広島から母・弟来る。髪の毛そる。頭部にマーキング、入浴

 2月13日・・・・・手術当日、点滴等手術搬入準備、9:00手術室搬入、直ちに麻酔開始(意識がとうのくのを確認・・・) 手術終了・・呼びかけで目を覚ます。 CT検査道中がとても寒い。ICUにもどり7~8回あったと思けど痙攣を起こす。 このため気管内挿入される。のどが痛い。看護婦さんと筆談する。  

 2月14日・・・・・14日と思うが、個室に移動、食事がのどを通らなくほとんど残すことが多いため、栄養士さんが直接食事指導のため来られて、 おにぎりなどにしてもらう。(2週間の個室生活の始まり、 終わり頃には悪夢を見るようになった。)

 2月27日・・・・・大部屋に移動、MRI検査、今にも痙攣が起こりそうになる感じを受けるときがある。

 3月 5日・・・・・日記久しぶりに書き始める。体重が約10Kg減り、併せて筋力も衰退し歩行器がないと、手すりを持たないと、介添えがないと一人では歩行できなくなっていた。食器なども、 他の付き添いの方に運んでもらう。       

 3月10日・・・・・リハビリに行くように指示される。

 3月25日・・・・・病院の中庭に植えられた木々が、着々と春の準備をして いることが日々見てとれる。同室の患者さんと、退院は桜の 花が咲く頃よなと、時間をもてあます。

 3月30日・・・・・約3ヶ月ぶりに不安を抱えながら、久しぶりに外泊する。    

 4月 5日・・・・・退院する。今後の予定は2週間自宅療養、後仕事に復帰 異常に肩が凝り、すごく不愉快(今考えれば、四十肩の始ま りでしょう。)

 4月15日・・・・・MRI検査(脳内に血液まだある。ほかへの圧迫なし)                             

 4月18日・・・・・仕事に復帰                                                   

 5月21日・・・・・再入院。以前から顎のかみしめ感などがあったが、昨夜は食事中箸を 持っている手が痙攣を起こし、すごい力が入り意識はあるが、箸を取り除くことができないくらい力が入るため、担当医師に電話し診察、入院                                  

 5月22日・・・・・一日中数え切れない細かな痙攣が続く、特に横になったり、ましてや消灯後の暗闇で寝付くまでなどは恐ろしいほどの痙攣が襲ってくるのです。    

 5月28日・・・・・この病気の原因は、生まれつきの異常ということが可能性としては大きいらしく、36年間もこの病気を育ててきたので痙攣もしつこいとのことであった。     

 6月 5日・・・・・CT検査の結果、頭内の血液のたまりが直径1.5cm程度まで 縮小している。薬の量種類が増えていく。

 6月12日・・・・・入院のついでに、眼科でコンタクトレンズをつくる。検査時に、眼球が「円錐角膜」であることが分かり年1度の検査を するように言われる。・・・最悪の場合は、角膜移植をしなければ いけない。とのこと(現実味はないが、少しショック)

 6月18日・・・・・退院(19日から仕事)                                                

 7月11日・・・・・MRI検査の結果、頭内の血液のたまりが直径1.5cmは変化なし                       

 7月19日・・・・・両肩関節、右股関節あまりに痛いので整形外科に通院。身体の歯車がいったん狂うと、どんどん狂う

 8月,9月・・・・・定期的な通院・軽い痙攣(特に夜中はひどいときがある)肩、股関節の痛みが続き服も着れない、風呂では身体の後ろが洗えない

10月21日・・・・・MRI検査の結果、頭内の血液のたまりが直径1.5cmは変化ないようだ、このままでも特に問題はない。関節痛のリハビリのため仕事帰りに寄れる病院を紹介してもらい、毎日通う。 開頭した場所の骨が、痩せまた少し陥没してきて外見から手術場所が はっきり分かるようになる。                       

1997年

 1月12日・・・・・MRI検査の結果、頭内の血液のたまりが二つに分割している。*執刀医は信頼できる人です。だが、外来での患者との対応で少し見放したような言い方をされるため、何かと薬を追加されるため いやになってきた。そのため、入院当初担当医になるはずであった先生の外来日に通院日を変更し、今現在もその先生に細かな指導を 頂きながら療養している。絶対信頼関係が必要です。定期的な通院・軽い痙攣(特に夜中はひどいときがある。) 肩、股関節の痛みはあるが、わりとと安定した期間

 6月13日・・・・・再入院(また止まらない痙攣が起こり始める)MRI検査・脳波等の検査「今は薬で痙攣を抑えるしかない」---薬の種類を変更、血中濃度の調整(このとき大発作を起こす可能性もあるので、 大事をとり入院(仕事もできないけど)  

 7月18日・・・・・退院(25日から仕事)                                           

11月16日・・・・・退院後も2Wに1回の通院(採血・薬の増量)・最近になり薬の増量も一段落(痙攣もわりと少なくなってきた)                 

間もなく術後2年にまりますが、この2年間は肉体的に、精神的に、また見えない 部分で辛い2年間でした。

  (1)術後、痙攣(症候性てんかん)の頻発で2回の入院(トータル入院月5ヶ月)

  (2)入院生活の長期化による体力の衰退(著しい)              

  (3)初期の入院での術後身体の管理方法誤ったため、この歳で四十肩になり両手が前に90度など服を着たり、夜寝返りをするにも激痛がはしり、今でも完全ではないが1年半の時間をかけてやっと日常的に生活で きるようになった。

  (4)開頭したところの融合に時間がかかり最近やっとましになってきたが、走るなどの衝撃のある運動をすると頭に響いたり、目の奥の方が痛くなったり手で押さえると沈んだ感じがする。

  (5)職場に対する不安(途中であきらめたけど) 書けばきりがない、今こうしてパソコンを操作し全国の人と画面上でコミニュケーシ ョンができることをうれしく思います。この2年間に恥ずかしい話ですが、一番働き 盛りでバリバリでなくてはならない自分のことを考えると情けなくて、2回泣きまし た。しかし、現実はそんな感傷的な自分をいつまでもその場にとどめてはくれず、ど んどん進んでいきますからともに歩むしかありません。